Angling Net / The Grotesque Night

ibo-namazu.....love, respect and pity

あほ&フィシング‥‥‥
あほといくあほなつりこそすばらしいあほにわらわれあほらしゅうなる

今日、ある人から『おまえは鯰に対して「愛情」と「尊敬」と「憐憫」の念を抱いておるのではないか』と、ご指摘を受けた。
たしかに‥‥‥言われてみればまさにその通りである。自分でも気づかないうちに、鯰に対して特別な気持ちを抱いていたのだ。あまりにも的確なご指摘だったので、ボクは驚かずにはいられなかったのである。


■■■ 愛情‥‥‥
 ナマズを愛せるか?■■■

最初はキライだった。他の魚を釣っていてナマズが釣れると眉間にしわを寄せ、天を仰いだあと深く頭を垂れ、沈鬱な表情を浮かべた‥‥‥実は、触れなかったのだ。
まず、姿形(スガタカタチ)がアウトだった。そして、あのチョロチョロニョロニョロとうごめく厭らしいヒゲがダメだった。さらに、あのヌルヌルした鱗のないボディが圧倒的にノーだった。
それがいつしか、スキになっていた。その経緯はニンゲンの男女の関係にも似ている。最初は生理的に受け入れられなかった相手が、いつのまにか離れがたく愛おしい存在になっている‥‥‥。
そうなるとすべてが許される。「アバタもエクボ」とはよく言ったものだ。釣り上げた直後、下品なゲップとともに食べた小魚をドバッと吐き出したとしても、それが可愛く見えてくるのだからどうしょうもない。今となっては、もうボクはナマズを愛さずにはいられないのである。


■■■ 尊敬
 ナマズを尊び敬えるか?■■■

堂々とした体格。黒光りする肌。風格のある顔。小さく輝く目。ナマズのどれをとってもニッポンの淡水に君臨する王者にふさわしい。
大きく裂けた口を半開きにし、これこそが「何食わぬ顔」であるという顔をしているのだ。
梅雨の頃、ナマズは水田を産卵場所に選び、大挙して用水路を駆け上がってくる。もっとも、太古の時代には水田などなかったのだが、日本人が農耕民族となり、安定した水量を水田に貯えることを知ったナマズは、産んだ卵を干からびさせないために、ニンゲンの知恵を逆手に取って巧妙に利用したのだ。そして、川に棲む外敵から孵化した稚魚を守ったのである。本能を超えた閃きがナマズという魚にはある。
種の存続は、知恵と勇気の証だ。ボクはこの知者、賢者を尊敬せずにはいられないのである。

■■■ 憐憫
 ナマズをあわれむ■■■

知者、賢者、そして淡水の王者たるナマズにも、落日の時は確実に忍び寄っている。ニンゲンの我が儘と身勝手によって移植された外来魚に、居場所を奪われ続けているのだ。
ブラックバス、ライギョ、ブルーギル‥‥‥。河川も湖沼もいまや彼らの天国だ。太古の昔から淡水を征服し続けてきたナマズだが、今や住処を奪われ、川の片隅に追いやられているのである。
まるで大横綱「北の湖」の晩年を見るようである。若くして横綱になり、先輩力士を千切っては投げ、投げては千切りし、みなから「生意気だ」「ふてぶてしい」と罵声を浴びせられつつ、晩年、今度は逆に新参力士に投げられ転がされている姿に、相撲ファンは心を痛めた。憐れんだ。
北の湖は引退後「親方」として相撲界に生き残れたからいいけれど、ナマズの未来を考えると、とても気の毒でいたたまれない。ニンゲンの所為で地位を奪われたナマズに申し訳がない。ニンゲンであるボクは、後ろ暗い気持ちになるのである。憐れみ、憫まずにはいられないのである。


鯰釣りが特別な釣りであるという意識はなかったのだが、鯰に対する様々な思いが募れば募るほど、鯰釣りはボクの中でその存在を複雑に大きく膨らませているのである。

21/April/2004


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