Angling Net / The Grotesque Night タイのカオレム湖で プラー・チャドーを釣ること Special contribution by Ochiai"DOZ"Fuminori 85日振りにこの土地を訪れた。 相も変わらずの生暖かい空気中には、香辛料と排気ガスと腐敗した臭いの混ざり合った匂いが立ち篭めている。この空気にも鼻がすっかり慣れてしまった様で今となっては、懐かしささえ感じられる。バンコク市内にて猛スピードで仕事を終わらせる。もちろん釣りする時間を長く取りたいからである。 現地在住の友人の運転する車にて深夜バンコクを出発する。市内を抜けると周囲の景色は一変する。「雑然」「雑多」「雑踏」は微塵も無くなりのどかな風景が延々と続く。 途中、象飛び出し注意の標識に大笑いしながら、市内を出てから丸6時間掛かってうっすらと夜も明けて来た頃、目的地のタイ西部の街サンクラブリに到着。カオレム・ダムだ。私はここに来たいと切望していた。 湖畔にてガイド業を営むミッソンパン・ラフトハウスにチェックインする。湖畔へと続く階段を下りて桟橋を渡りスタッフにボートの手配とラフトハウス(筏に屋根が付いた水上家屋)の宿泊をお願いした。 車から荷物をラフトハウスまで運んで釣り具を準備していると、例の改造トラックエンジンが着いた木船が横付けされた。船はブンボラペッのそれよりも二回りは大きいサイズで、エンジンも船体に合わせてか大きめのモノが載せてある。 この船を操るのは、見た目は幼い笑顔の素敵な青年「ワンチャイ」君、21才モン族出身で多分独身。いよいよチャド−ハントの開始である。 そそくさと釣具と弁当と大量の水を船に積み込み、エンジンに火が入り早朝の静かな湖面にエンジンの爆音が響き渡る。独特の音と振動が心地よい。途中、軍隊の検問所を通過し鏡の様な水面を船はフルスピードで滑走していく。 タイとは言えやはり2月の山上湖で高速移動の船上は寒かった。このダムは全長50キロ以上ある為水平線が見える。途中の島では牛が草を食み、石灰質の山では猿の親子が断崖を移動している等、自然が満載であった。岸辺にはモン族の村の家々が並んでおり、そこから立ち上る煙りが周りの自然と同化して風景画を見ている様であった。 船が鏡面を滑る事数十分、船足が遅くなりポイントに到着。ワンチャイが船尾から船首へと移動し櫂を持ってゆっくりと漕ぎ出す。 タックルは前回ナコンサワンの釣具屋で購入したVIVA6.2ftMH(中国製)にダイワ製ミリオネアCV-Z 203という、日本のバス釣りではまず使わないであろう装備である。ラインは両方ともPE60lbの紅白2色編みのおめでたい糸。ダブルラインの先には今回の為に削った自作ペラルアー。 ポイントは岸からパラ葦が生えてウィードが水面直下まで伸びている風裏のシャロー。気合いを入れて第1投。葦の中に入ったルアーはお決まりのハイスピードリトリ−ブにより飛沫を上げて超高速で手元まで帰ってきた。 『ん〜、気持ちが良ろしい!!』 これが素直な感想である。周りを見れば一面の緑の山々。水を見れば水草の葉の一枚一枚まで見えそうな透き通った蒼い水。昇りかけで未だ殺人光線を発していない太陽。遠くに浮かぶ漁師の船。遥かに見える水平線。水面に居るだけで最高である。この分だと酷暑になる事は間違い無い。事実、裸足の甲が南国特有の殺人光線を感じている。 気を取り直して竿を渾身の力でフルキャストする。涼しい内に魚を釣って暑くなったら日陰で昼寝でもしよう。残された心地よい時間は僅かである。 早速、同船した友人が幸先の良い50センチクラスを釣り上げた。その後もバイトはちょこちょこあるものの、フックアップまで到らず焦りが出てくる。たまに「ボコッ!!」と大物特有のあたりがあるのだが、ほんの一瞬の重みも手元に伝わらないまま水面は大きな波紋だけを残して静寂を取り戻した。ルアーを確認すると塗装やコーティングをも貫いて下地の木が出ている。あの一瞬で噛み付いて離しているとは、チャド−は動きの素早さに関しては舌を丸めざるを得ない。 後ろで束ねた髪にジリジリと熱を感じ始め、ナイロンジャケットがサウナスーツとなる前に半袖姿になり一心不乱に竿を振り続ける。が、バイトはあるものの腕の悪さか乗せられず、ポイント移動をくり返し昼休憩となった。岸壁の日陰に船を係留し昼食をとり暫しの休憩となった。水面を抜ける心地よい風に眠気を誘われ暫し目をつぶった。 『パイ トッパー(釣りしよっか)』との声にワンチャイがエンジンを掛け再び湖面を滑って行く。それにしても暑い・・・・。朝方の寒さは一体何だったのかと思う程、予想通りの酷暑である。普段、ほとんど日に当らない不健康極まりない生活を送っているせいか、両腕が時間の経過と共に紅潮していく。 さてチャド−だ。やはり昼間の暑い時間はバイトの数も極端に減り、釣り人の集中力も下がる。日陰か水通しの良い岬の先端などでは時たまバイトがある。が乗らず・・・。 日が傾きはじめ太陽の殺意が若干陰りはじめた頃、ようやく「幼稚園児サイズ」を1匹フックアップさせる事が出来た。このチャドーは今までみたチャド−の中でも抜群に色が綺麗であった。クリーム色の体に焦茶色のライン。とても同じ魚とは思えない色身でサイズは別にして嬉しい一匹だった。 『デッカくなったらまた合おうね』 『嫌ぢゃ』(と言ったかどうかは知らないが) 綺麗なチビっ子は蒼い水中へと猛ダッシュで帰って行った。その後、更にチャド−を釣り上げる事は出来ず、この日は納竿となり木造船は一路ラフトハウスを目指して水上を滑走して行った。 途中、友人が私の肩を叩き伏せていた顔をあげ指差す方を見ると、その先には夕日に反射して極彩色に輝く黄金の寺院がそびえていた。写真で何度も見て実物を見たいと思っていたのだが、その輝きは想像を遥かに超え私はただただ見とれていた。 静かに夜は更けていき、時折水上生活者達の船の行き来で筏がゆったりと波打つ。対岸の話声と静かに打ち付ける波音以外は音も無く、対岸の家々の窓に明かりが見える他は周りは漆黒の闇。 久しぶりに一日竿を振り続けたせいか私はいつの間にか眠ってしまい、目が覚めた時にはワンチャイがラフトに船を横付けしていた。 もぞもぞと布団から這い出て『おはよー』とワンチャイと挨拶を交わす。ん?目が開かない。鏡の前に行くと私の右目は13Rを闘い終えたボクサーの様に腫上がっていた。 太陽を浴び過ぎた為に目が炎症を起こしてしまった様だ。シャワーで顔を洗いまぶたの上から冷水を流し続けると腫れがひいて若干の違和感はあるものの、まばたきも出来る様になった。なんとか世間に出しても良いかなと思うくらいの顔になった頃、出船準備も整った様で船上ではワンチャイが待機していた。 今日も朝靄がうっすらと立ち篭める中、船は広大な水面へと出発。水面を覆っていた靄も晴れて来た頃、最初のポイントに到着。軍の検問所に程近いワンドのシャロー。 糸の先に自作ペラ付きポッパーを結んで朝一の第1投。パラ葦の隙間に入ったルアーが飛沫を挙げてこちらに戻り始めてすぐに、小さいながらもチャド−特有の水面が爆発するド派手なバイトに合わせる。 サイズは小さいが派手にジャンプをくり返し同サイズのバスの数倍の力強い引きで楽しませてくれる。が、ジャンプ1発で痛恨のバラシ・・・・。 寝ぼけていた為にフッキングが甘かった様だ。この1発で完全に目が覚め「今日はイケル!!」と全く根拠の無い自信が湧いて来た。 その後、昨日程では無いがバイトは時折あり何本かバラした頃になると東の方より殺人光線製造機が今日もやる気十分の輝きを放ちながらおいでになった。今日は昨日の反省を生かしてタオルを頭から被っているので首筋のジリジリ感は無いが水面から間接的に送られる光線はやはり殺意を持っていた。「こりゃサングラスも必要だわ・・・」と自分の準備の悪さに呆れたがせっかくの日焼けの機会だから腕は焼いてやろうとTシャツの袖を肩までめくり滅多に浴びない日の光を浴びる事にした。 今日もやはり暑い・・・。ワンチャイが船を大移動して着いたのは釣り鐘型をした山の近く。彼はポイントの手前に来るとエンジンを止め舳先に立ち手をかざして周囲を見渡す。そうして遥か遠くに見えるチャド−の呼吸の形跡を探すのだが我々には到底発見する事は出来ない。ガイド達の視力は恐ろしく良い。多分両眼とも6.0位はあるのではないだろうか。そうしてめぼしい場所を絞り込むと彼はおもむろに漕ぎ出す。 ここは水の透明度がとても高く水中の様子が全て見える位で、水面直下まで密生しているウィードの漂う様子が観察できる。水面に突き出た岩の横にルアーを投げ引いて来ると30〜40センチクラスのお子さまチャド−が何度もルアーの下を行ったり来たりしている。ほぼキャストをする毎にである。でも口を使う様子は全く無い。やはり冬のこの時期は活性が低いようだ。が、ここでバス釣りの様にルアーのスピードを落とすと逆に全く追わなくなる。 時折『ゴポッ』と小気味良いバイト音があるのでキャストしていて楽しい。船は山の周りを半分程廻り日陰に入った。 『ふ〜、暑いね? 大丈夫?』 竿を置き水を口にしてワンチャイに問いかける。 『オッケー、オッケー、マイペンライ』 櫂を起き水を飲みながら答える。私は竿を持ち、ワンチャイは櫂を持ち、互いのすべき事を始めた。直接日に当らないとなんて清清しい気候であろう。ここは今まで行ったどんな水辺よりも気持ちが良い。 『ニー!!(そこ)』 ワンチャイが興奮気味に指差すとそこには明らかに呼吸しに上がって来たチャド−が残した波紋が出来ている。波紋はまだ出来たばかりの様ですかさず波紋の先2メートルにルアーをキャスト。巻き始めて数秒後、今までのどんなバイトよりもはるかにバカデカい飛沫と補食音が石灰質の岩山の裏で鳴り響いた。 一瞬、今何がこの場で起きたのか判らなかった。その刹那竿を持つ両手に尋常では無い重さが伝わった。 どれくらいの時間であろう。1秒か 0.1秒か 0.01秒だろうか。頭の中が空白になった。それでも身体は勝手に反応し竿を大きく合わせていた。 『lk n xdufkhhngnoih!!!!!!』 横でワンチャイが大声をあげている。 『うっ・・・で、デカイ!!』 過去に釣り上げた魚達の引きのどれよりも比にならない力を感じていた。竿尻を腹に着けリールの上部を両手で支えてるのが精一杯である。ミディアムヘビーの柔らかくはないであろうこのロッドがバットの根元から曲っている。リールのドラグを目一杯閉めるがラインは「ズ、ズズ、・・・」と簡単に引き出されていく。ひとしきり走った後はポンピングで寄せる事が出来たのだか、近くに寄って来ると今度はボートの下へ下へと潜っていく。 ここは一面のウィードエリアで中に入られたら確実に取れない。スプールを両の親指で押さえて魚に主導権を握られないようにロッドを前後左右に捌く。ボートの真下に入られロッドが船べりに擦れる。このままではラインを切られてしまう。両の手でバット握りゆっくりとロッドを上げると魚は方向を変えまた走り出した。両手で押さえたスプールからラインはジリジリと引き出される。 『ヤイ!! ヤイ!!(でかい!!)』 ワンチャイもすっかり興奮していて大声で叫んでいる。他にも色々言っていたのだが私のタイ語の理解力ではその言葉を聞き取る事しか出来なかった。 魚は潜れないと判ると今度は水上で飛び回り首を左右に激しく振り身体をくねらせて、この現状から逃れようと自身のもつ全てを使って抵抗する。人も自身のもつ技術と判断でそれを手中に納めるべく闘う。 どれ位の時が流れたであろう。恐ろしく長く感じれば瞬時の出来事とも感じられる魚との格闘。魚は疲れを滲ませながらも自身の体内に残る力を全身から絞り出すかの様に最後まで抵抗をし決して諦めなかった。 横でネットを持ち待機しているワンチャイの方へと魚を誘導する。先程の力強さから比べれば弱々しく思える身体のくねらせ方をして無事彼の手に持つネットに身体を掬われた。 『よっしゃー!!』 両の手のひらをグッと握り蒼天に向って大声で叫んだ。船には薄紫の巨体が横たわり微動だにしない。竿を置きポケットからカメラを取り出すが両手、両膝がガクガク震えて思うように動けない。震える手を必死に抑えてシャッターをきる。ワンチャイとがっちり握手をして喜んだ。彼も今まで見せた事の無い笑みをこぼしてまるで自分が釣り上げたかの様に喜んでくれた。 『どれ位あるかね?』 『ハーキロ!!(5キロ)』 秤が無かったので正確な重量は不明だが持ってみると確かに5キロは軽くあるだろう。しかしサイズや重さはどうでも良かった。それは私が釣りたかったのは所謂「マンサイズ」で、記録よりも感覚なのである。こいつはそれを満足させるには充分すぎる魚だったから。 5キロ級プラー・チャドーを抱え上げるOchiai"DOZ"Fuminori氏 頭をしっかり押さえ、開けた口からルアーを外そうとすると再び暴れだした。早く彼の住むべき世界へと帰してやりたいのだが、さすがにこのサイズになると力は相当である。見兼ねたワンチャイが上から座り込むようにして針を外してくれた。 フックを見るとマスタッド製の#2/0のダブルフックは1本は直線にもう1本は軸に対して針先が直角になっていた。あと、ほんの少し闘いの時間が長かったら確実に外れていたであろう。 頭と尻尾を持って水中へと戻すと数秒間は手元にいたのだが、水中である事に気が付いた様で私の左腕を団扇の様なでかい尻尾で軽く2、3度叩きながら蒼の世界へとゆっくり帰っていった。 船に目をやるとワンチャイはルアーとペンチを持ってなにやらごそごそやっている。そして手渡されたルアーを見ると、なんとあれだけ曲げられたフックがきちんと元通りに戻ってるではないか。私は出来れば記念にそのまま持ち帰りたかったのだが彼の好意を素直に受け取ってその後もそのフックを使い続けた。 「魚釣りとは糸の片方に魚が居てもう片方に馬鹿が居る状態を指す」 愛読書の「フィッシュオン」に出てくるこの言葉は正にこの状態をさすのであろう。魚と闘うこの興奮が麻薬のように働いて、飛行機に乗ってこんなアジアの山奥にまで道具を持ち込んでまで釣りをさせるのであろう。 私は全身の力がすっかり抜けてしまい船の上であぐらをかいていた。タバコを取り出す手はまだかすかに震えている。1本をワンチャイに差し出し二人で真っ青な空に向って白い煙りを吐き出した。 再び「雑然」「雑多」「雑踏」の市内へと戻り残りの仕事を片付け日本への空路を辿った。途中、台北にて数時間を無駄に過ごし成田に着くと周囲は闇に包まれて空港から一歩出ると吐く息は白い。 「帰ってきてしまった」というのが正直な感想である。夢の様で強烈な1週間はいつも瞬時に過ぎ去ってしまう。明日からはまた「普通」が待っている。電車に揺られ寒空をくわえタバコで歩くと歩を進める毎に「普通」に身体が馴染んでいった。どうやら身体の方が意識より判りが良いようだ。玄関のドアを開け眠り慣れたベッドに身体を横たえる。 こうして今回の旅は終わった。再び何処かの水面をぶらり漂うまで、今回の旅を思い出しながら時間をやり過ごそう。 feb. 2004 Ochiai"DOZ"Fuminori back |