Angling Net / Story of Great Topwater Plugs

Heddon Basser
バサーの憧れはバサー

夜更けの酒の肴にこいつをテーブルの上に転がしながら、その無骨さに今更ながら驚いてる。

ニッポンのバスポンドでバサーを投げているバサーを見たことがない。多分私の知らん所で、ごく限られた人だけがこのプラグで楽しんでるんやろ。そしてほんまの意味で「酒の肴」にしてるんやろう。羨ましい‥‥‥。

しかしこのプラグは使いにくいね。投げて重い。動かしてかったるい。音が大きすぎる。おまけに回収時に潜りすぎる‥‥‥文句言い出したら切りがないほど不満はある。

しかし今あえて、コイツでバスを釣ってやろと考えてる。言い換えたら、ニッポン人の私が、単純すぎて掴みどころのないアメリカの文化を「餌」にして、酔狂な同邦が持ち込んだ米国産の魚を罠にはめようとしてる。遊びの中の遊び。これはは実に面白い構図や‥‥‥と、一人ほくそ笑んでる。


釣りとは、片方の先に魚がおって、もう片方の先に馬鹿者がおる状態を言うらしい。
ははは、今私がやろうとしてる状況に、まさに貪比舎利やん。
釣れるも良し、釣れへんも良し‥‥‥と、これぐらいの気持ちで臨みたい。返ってその方が釣れたりするもんなんや。

ゲゲゲの鬼太郎に出てくる妖怪みたいな顔をしている

さてこのプラグ、すでに製造が終了してコレクターのあいだで希少価値が出ているらしい。しかし使いもせん道具を眺めて暮らす趣味は私にはない。ぜんぜんない。道具は道具である。大切に使てやってはじめて値打ちが出るというもんで、使わへんかったら職人に申し訳ないやんか。飾るべきはゲイジツカの先生が作ったゲイジツ「作品」だけやと思うねんけど。