Angling Net / Topwater Bass Fishing



栄枯盛衰‥‥‥盛者必衰‥‥‥琵琶湖がつぶれる

錯覚をしていた。大きな思い違いであった。

まさか‥‥‥
この巨大な琵琶湖でフィッシングプレッシャーなどあり得ないだろうと、タカをくくっていた。しかし現実はそうではなかった。いともあっさりと予測はくつがえされた。琵琶湖は見る見る釣れない湖になっていったのだ。

琵琶湖のバスがスレ始めた。

それは1989年のことだった。
なにしろそれまでは、安曇川から大浦にかけての湖西岸はいつでも独占状態で、ボートも超スロースピードで十分だった。どのポイントもいつもオールクリア。そして、どんなにでかいプラグを投げても「ドカン!」と水柱が上がったものだった。

余談だが‥‥‥
当時、私の両手首は腱鞘炎だった。勿論、連日のバス釣りのせいでそうなったのだが、腱鞘炎であることがちょっと自慢だった。

それが、北湖にも釣り人が増え始める‥‥‥
と、途端に様相は変わった。バスは沈黙し、水面を割らなくなってしまった。

追い討ちをかけるように‥‥‥
釣り雑誌やテレビの釣り番組が「釣れる、釣れる」と紹介しはじめると、恐ろしい勢いで釣り人が集まってきた。

「琵琶湖・湖北で40cmアップが半日で10本!」
などと雑誌が書き立てた。これは私にとっては「大不漁」だが、関東の釣り人にとっては夢のような話だったのだ。
かつて池原ダムが全盛時の頃、わざわざ関東からフェリーボートに乗って池原まで来るバサーが大勢いると聞いた。同じことが琵琶湖でも繰り返されたのだ。
これはもう見事というしかない。メディアの力の大きさをはじめて知ることになる。


「これはツブレルな」と思ったが傍観しているしかなかった。





1990年代になると、既に琵琶湖は全国区になっていた。セルボートやカヌーでのんびり釣る場所ではなくなっていた。

湖岸という湖岸はウエーディングするバサーが立ち並び、大きなエンジンを積んだアルミボートが現れ、やがて本格的なバスボートが爆音を轟かせて走り回るようになる。

日本にバスプロというものが出現し、南湖ではごく当たり前にトーナメントが行われるようになった。

西ノ湖の二の舞いだった。

ふと気付くと、すでに琵琶湖は魅力を失っていた。追われるようにして私は琵琶湖から遠ざかっていった。

その後、琵琶湖がどうなったかは周知のとおりである。

私のパラダイス探しは今なお続いている。しかし、未だあの当時の琵琶湖に優るパラダイスを発見できない。
今に思うと、琵琶湖は「最後の楽園」だったのかもしれない。


ある寒い冬の晩に、ふと琵琶湖のことを思い出して、当時のアルバムをながめつつこれを書いてみた。
何がそんなに切ないのか‥‥‥おぼろげな記憶の彼方で、写真もセピア色にあせて見える「私の琵琶湖」である。


Return to Topwater Bassin'