Angling Net / Topwater Bass Fishing

天国への階段

フローターに揺られながら天国への階段を上ると、油絵のようなのどかな風景の中に溶けてしまう。一瞬‥‥‥召されそうになる。

大きなバスを釣るのが目的やないけれど。たまには‥‥‥うーん、そやね、年にいっぺんかにへんぐらいは「今日はでかいのんが釣れそうな気がする」こともあるわけで。

そう、たまにね、大きなバスに竿曲げてもらうのも楽しいと思うことがある。「ギュイーン」と糸が鳴ったりしたら、やっぱりドキドキワクワクしてしまう。
けど、期待はしててもやっぱり相手のあることやし、そうそうこっちの思惑通りにはいかんよ。大概は期待外れや。いらん期待したぶん損したな‥‥‥て。後で公開したり反省したりなんかしてね。捕らぬ狸の皮算用ちゅうやつ。

それより、本筋は「出方」がどうかということで、それが究極の目的であることを忘れたらあかん。バスを捕ったの捕らんのを取りざたするのは、ここでは的外れや。バスの面白さはまさににこの「出方」に集約されると思て釣りをしてきたわけやからね。
で、その辺を突き詰めると、水面を割ったバスを鉤にかけるのは邪道のように思えたりもしてくる。プラグ動かしてバスを誘うて、ドカンと水面割ったらそこでゲームオーバー。つまり「捕るの」「捕らんの」の話をするのはおかしなことやと。まして大きなバスを釣りたいやなんて論外やちゅうことになる。

それでアホみたいな話やけど、数年前、実際にゲイプから先をペンチで折ったトリプルフックをプラグにつけてバスを釣ってみたことがある。そしたらバスは「グアボッ」と出て、プラグをくわえ込んで潜る。けどアワセをくれた瞬間にハズれてしまう。そら当たり前や。刺さる部分がないねんもん。

最初はこれは面白いと思たね。しかし何回かそんな釣りをやってるうちに「ちょっとちゃうな」と考えが変わった。なにがどうちゃうのか口で説明するのはむずかしい‥‥‥なんか、ようわからへんけど面白さの一部分が欠落してる感じなんや。

で、魚釣りの何たるかを考えてみたら、やっぱり釣りは「吊り」なんやとゆうことに気付いた。魚を吊りあげることが最終目的。言い換えると、釣らへん釣りは釣りではないとゆうことになる。これは昔から不変でね。スポーツフィッシングの世界でもまったく同じ。キャッチ&リリースを前提にして魚を鉤にかけるわけで、鉤にかけへんのは「フィッシング」とは呼ばんちゅうこと。まあ一種のコンピュータゲームみたいなもんかな。

半年ぶりにパラダイスでバスを釣る。友人上原徹也の作ったプラグ"Hokkogener"のアクションの面白さに見とれてたら、突然「ズドン」。

決して大きなバスではないし、プラグもいわゆるビッグプラグではない。けどこれが楽しい。
大きなバスを釣ること。大きなプラグで釣ること。そしてプラグもバスも小さいけれど迫力のある出方をするバスを釣ること‥‥‥それぞれがそれぞれに楽しいはずで、序列なんかあるはずない。

ただ単に魚のファイトを楽しみたいんやったら、わざわざバスを釣ることもない。海にはバスロッドの何倍も強い竿を平気で折っていく力の強い魚がなんぼでも居るからね。

アホまるだしの友人、エンドレス森下

出方にもこだわるし、ビッグプラグにもこだわる。さらにあの華麗なジャンプにもこだわる。
わざわざロッドを高くホールドしてジャンプを誘発させる。で、でかいバスをバラしてしまう‥‥‥そしてこう叫ぶ「くっそー!このこいつ!」
アホまるだしやけど、エンドレスの釣りは素晴らしいと思う。

バス釣りの一番おいしいところをいただくとすると、トップウォータープラッギングに行き着く。理由は面白いから。しかしまあなんやね。トップの面白さを覚えた釣り人は不幸かも知れんね。竿曲がる回数が少ないもん。

これもひとつの知恵の悲しみかな。


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