Angling Net / Topwater Bass Fishing

雨上がりのパラダイス

パラダイスでバスを釣ること

ここまで来ればなんとかなる‥‥‥ツキに見放された釣り人はみなそう言いながらパラダイスへやって来る。くたびれ果てて薄汚れた体と、深くえぐられた心の傷を癒しに‥‥‥



雨上がりのパラダイス‥‥‥鉄橋の赤が目に染みる


しかし栄枯盛衰は世の常、どんなパラダイスもいつかは衰退する運命にある。凹凹に釣れまくってたバスポンドも、いつかは普通の池になってしまうということ。そらそやね、これだけバスを釣る人間がおったら当たり前やね。
せっかく心の傷を癒しに来ても、肝心のバスが釣れへんかったら心の傷は深まるばかり。「もうバス釣りなんかやーめた」という気持ちは痛いほどわかる。

「最近、バス釣りが面白くなくなった」という釣り人のほとんどが、その理由を「今まで通てたバスポンドが釣れへんようになったから」と言う。「急に釣り人が増えてスレてしもたから」と言う。

盛者必衰‥‥‥悲観的なものの見方をしたら、そういうことになる。


マスキージタバグでバスを釣ること

マスキージタバグでバスを出すこと。これはビッグプラグ愛好家にとって所謂一つのステータスシンボル。
つまり、とりもなおさず「馬鹿者」の称号を得る近道と言える。

 Fred Arbogast "Musky Jitterbug" 35g

楽観主義的バスアングラーたちの意見はちょっとちゃう。彼らはこう豪語する‥‥‥
『パラダイスなんか無限にある。探したらなんぼでもある。狭いニッポンに執着する必要なんかあらへん。メキシコへ行ったらデカいのがアホほど釣れるやんか』
そう言い放ってはばからん。そして嬉々としてパラダイス探しを続けてる。まさにパワフルかつオプティミスティック。

たしかにそうかも知れん。たしかにそうではあるけれど、しかし、それは金と暇があればの話でね、バス釣りが身近な遊びであればあるほど彼らの話は縁遠く聞こえてしまう。

それよりも、釣り人のそれぞれが「心のパラダイス」を持つことの方が大事なんやないかなと思う。ここで一日釣りをして遊んだら、たとえ釣果はショボかっても「ホッとするわ」というバスポンド。そこには虚栄心も何もなく、すべての緊張が解ける快感だけが存在する。私がパラダイスと呼ぶのは、ほとんどがそんな近所の池なんやけど‥‥‥。


おかしな形のプラグでバスを釣ること

カタチには理由がある。100年以上も前から、バスを釣るためだけに模索し続けられたカタチには理由がある。そしてそれでバスを釣ったとき、それを生み出した先達と釣り人のあいだに、ある種の連帯感が生まれる。
バス釣りとはそういう遊びでもある。

ところでせっかく見つけたパラダイス、できるだけ「長持ち」させたいと願うのは誰しも同じ。そこで少しでも長持ちさせる秘訣をひとつ

‥‥‥「ひとにしゃべらんこと」



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