Angling Net / Topwater Bass Fishing 温故知新 古くなった道具を愛おしみ愛でる人をコレクターと呼ぶ。価値観の相違だから仕方がないと言えばそれまでだが、そのせいで、多くの逸材が釣りシーンから葬り去られていることも事実である。したがって、貧乏な釣り人にとって、オールドタックルとは、コレクターが目もくれないアイテムに限定される。 しかしコレクターに見捨てられたアイテムの中にも、釣り人だからこそ見いだすことの出来る逸材もある。負け惜しみではなく、道具は使ってこそ値打ちが出るものであるということなのだ。 こうしてボロボロになるまで使われたプラグをながめていると、自然と当時の釣りに思いを馳せてしまう。先人達が、どれほど知恵を集結して、どれほど努力を重ねて魚を釣っていたのか‥‥‥ついつい想像の翼を広げてしまうのだ。 何処の誰が作ったかも知れぬ小さな木片が、海を渡って今私の手元にある。当時、輝かしい色に塗り上げられていただろう色彩もすっかり剥がれ落ちて、木の地肌が露出している。作られてからどれぐらいの歳月が過ぎたのだろう。もしかすると、これを削った釣り人、あるいは職人はもうこの世にいないのかも知れない。 このプラグは今までにどれほどの魚を釣り上げてきたのだろう。たぶん想像を絶するほどの幸運を運んできたに違いない。その都度、釣り人は歓喜に打ち震えたのだろう。ひび割れた塗料からは、釣りへの熱き思いが伝わってくる。 釣り人から釣り人へ、オーナーは何代も代わったのだろう。まだまだ現役で使えそうにも思えるし、もう引退させてやってもいいような気もする。否、私が最後の所有者だ。命ある限りその職務を全うさせてやろう。最後にもう一花咲かせてやろう。このプラグもきっとそれを望んでいるだろう。 釣り人はひとつのプラグで何匹の魚を釣るのだろう。なくしてしまうか、あるいは壊れて使えなくなるまでに何匹の魚を釣るのだろう。数百匹釣って大活躍するプラグもあれば、一匹も釣らずに一生を終えるプラグもあるだろう。 こうして一つひとつながめていると、プラグにも人の人生に似た生涯があるのではないかと思えてくる。とりわけ木のプラグには他のルアーにはない生々しさがある。まるで生き物のように見えてくる。つぶらな瞳をしばたかせて、何事かを語りかけているように思えてくる。不思議な世界である。 3 September 2001 Ikasas Ikuy Return to Topwater Bassin' |