Angling Net / Shogawa Gokayama

私の好きな釣り宿
民宿「前田」のこと

民宿「前田」のばあちゃん

     「ようおいでた。遠いとこからたいへんじゃったの」と言いながらばあちゃんが出迎えてくれる。家に帰ってきた気分になる。靴も揃えんとあがりこんで五箇山茶をすする。これがウマいのなんの。
宿の前が川ですぐにでも釣りができるけど、囲炉裏の前に座り込んだらついつい腰が重たなる。お茶を何ばいもおかわりして、ゴロンと寝転んで太い梁の通った天井を眺めてたら、しみじみと幸福感が湧いてくる。
ここまで来て慌てることなんか何もない。夕方までゆっくりくつろいで、川へ出て元気の良いニジマスを何匹か釣って、近くの温泉にどっぷり浸かって、真っ暗になってから宿に戻る。ごっつぅ人間らしい暮らしをしてる気分になる。

夕方釣った虹鱒を一匹だけ川から戴いてきた。さっそくばあちゃんに焼いてもらう。新鮮な鱒の脂がにじみでて口の中に広がる。どんな贅沢な料理よりウマいと感じるのは錯覚ではない。生きてる証みたいなものを感じる。
民宿「前田」の名物「稗めし」これは筆舌に尽くしがたい。今の日本人は「ひえ」なんか食べたことないやろね。ここへ来たら腹いっぱい食べられる。

ついでにもうひとつ。街に居ってはまず口することがない山菜。これを肴に酒を呑んだらどんな酒でも旨いね。私には故郷らしい故郷がない。ここが故郷やと思う。
平日はダム工事の人夫が泊まることもある。しかし彼らは夕食が済んだらさっさと寝てしまう。囲炉裏端に残って遅うまでしゃべってるのは私だけ。つまり貸し切りの民宿。

「三笑楽」という富山の安い酒を飲みながら、じいちゃんの話を聞く。じいちゃんの話はなんべん来てもいつも同じで、大昔、じいちゃんが大阪へ行ったとき暴力バーで大枚をぼったくられた話。なかなかおもろいんですわこの話。
おまけにこの話、なんべん聞いても内容は寸分違わへんのです。よっぽど強烈な思い出なんやろね。それでじいちゃんは必ず「大阪ちゅうとこは恐ろしい所じゃ」で結ぶ。
話すだけ話したらじいちゃんはこっちの話も聞かずに居眠りを始めよる。するとばあちゃんがじいちゃんの肩にどてらをかけてやる。