Angling Net / Trout Fidhing

岩魚の棲む渓でへとへとになるまで遊ぶこと

岩また岩の溪に岩魚は棲む
R上原からメールがきた。釣りの誘いだ。
険しい登山道を何時間も歩いて、フラフラになりながらたどり着く渓は「岩魚のパラダイス」だと言う。渓は細いが尺上岩魚が釣れるらしい。しかし、そんな体力はないと言うと、それなら岩魚のサイズは落ちるけが下流の釣りやすいところを‥‥‥と話は決まる。

ところでその下流であるが、どこから見ても健脚者向きの険しい渓である。しかし来てしまったものを今さら引き返すわけにいかない‥‥‥。

釣り始めてすぐに小さな岩魚が釣れる

ショートトゥイッチングに躍り出る。
チェイスは頻繁にある。しかしなかなかフックアップしないのはいつものこと。一方、R上原は着実に食わせている‥‥‥これまたいつものこと。

岩魚は都会の釣り人の憧れである。
理由は山深いところまで足を運ばなければ出会えないからである。しかも近年はますます数を減らしていると聞く。
小さな岩魚でも、釣れたら都会の釣り人は深い満足感に浸ることができるのである。なぜか自分の中に忘れかかけていた「自然」を取り戻したような錯覚に陥るのである。錯覚である。

岩陰から小さな陰が飛び出す

一瞬、ドキッとするが、アマゴのような電光石火の早業ではない。白斑がはっきりと見えるほどのおっとりとした泳ぎである。
なるほど、ここは噂に違わず岩魚の魚影が濃い。というより、渓には岩魚以外の魚が見当たらない。山女魚もカワムツもアブラハヤも居ない。
つまり岩魚、岩魚、岩魚‥‥‥。「へっへっへっ」、都会のいやしい釣り人は、ついついほくそ笑んでしまう。

私の住む町の近くにも管理釣り場はたくさんあって、中には岩魚を釣らせるところもある。意味不明な細かいルールが定められている。フライは「ヨイ」がルアーは「イケナイ」という決まりのところもある。どこがどう違うのか‥‥‥あほらしくて説明を求める気にもならない。

ハイランドの夏は気分爽快

下界が33℃のこの日、ここは20℃。汗をかかずに釣りが出来るのがうれしい。
高巻き不能のゴルジュで胸まで浸かって川を通したら、気が遠くなるほど水は冷たかった。思わず「ひえ〜っ」と叫んでしまう。
都会の釣り人にとって夏の渓流は贅沢なオアシスである。日頃のうっぷんを晴らすには絶好の場所である。清冽な流れをながめているだけでも心が洗われる。ましてやそこに岩魚が棲んでいて、しかもそれを釣るとなると‥‥‥気を失うほどの幸福に浸れる。

ちぎれた雲が‥‥‥

深い谷底から空を見上げると、真っ青な空にちぎれた雲がぽつんと浮かんでいる。
山は高く、溪は深く、そして木々は大きくそびえている。空気が凛としてキリリと身が引き締まる。

飽きないタイミングでバイトが続く。ときどき混じる尺級に竿を曲げながら釣り上がる。さらに上流を目指せば二尺に近いのが居るという。

こんなところで釣りをしていると都会の暮らしがいやになる。日常からの逃避である。しかしここで暮らせと言われたら、暮らす勇気などないくせに‥‥‥。

アマゴ釣師のR上原に言わせると、岩魚は簡単であるらしい。アマゴのような俊敏さはないと言う。たしかに、タイミングはアマゴよりはるかに鈍い。
しかし、それでも私には手ごわい相手である。彼のレベルにたどり着くには相当な時間を要するだろう。しかしいつかは‥‥‥と思うのだが。

この釣りで最も重要なのはキャストの精度。わかっていても意のままにならない。

ようやく馴染んだ和竿仕上げのIMミノーイングロッドだが、キャスティングが決まったかと思うと蜘蛛の糸に邪魔をされる。集中力が途切れる。
いったん蜘蛛の糸がラインに絡むと簡単には取れない。まるでウインドノットのようにダマになってキャストの精度を狂わせる‥‥‥。

私とて、決してこのサイズで満足しているわけではないが‥‥‥。

山から岩魚を三匹いただいて帰る。
しみじみと山の幸を噛みしめながら、たった一日の釣りで筋肉痛になっている軟弱な足をののしる‥‥‥。


 Hard Trout Fishin'