Ikasas Ikuy marvelous World / Illegal Transplant

奇才 ・山本義雄のこと



昨日、ヤマモトヨシオの訃報が届いた。

今から十数年前‥‥‥
福光町の釣具店「トニー」の壁には、大きなトラウトの魚拓が貼られていた。私はただただその巨大さに目を奪われた。魚種の項には単に「鱒」とだけ記されてあり、それがどういう種類の鱒なのかは記されていなかった。
店主のトニー翁に『この魚は何?』と訪ねても、ニヤニヤ笑いながら『これか、これは鱒じゃ』と答えるだけだった。ほとんどの魚拓に「釣り人、山本義雄」とあった。ある年の秋のことであった。

後日、その魚が「サクラマス」であることを知る。遊漁魚種として公認されていないので「鱒」とのみ記されていたのだと察する。冬の間、サクラマスへの思いは大きく膨らんでいった。そして翌春から私の神通川通いは始まった。

未知への挑戦だった。当時の私は完全無欠のトップウォータープラッガーを気取って、「バスを釣らんとや生まれけん」などと豪語していた。そんな私にとって、サクラマスという魚はまったく未知であった。未知な魚と無知な釣り人。それゆえ安易な気持ちもあった。しかしそれはやはり無謀な挑戦だった。

釣期は早春から初夏までの短い期間だったが、一年のすべてをこの時期に賭け、他の釣りを犠牲にしてもこの釣りに没頭しようと決めた。サクラマスこそ自分の釣るべき魚と信じた。しかし甘い夢はすぐにかき消されることになる。

神通のサクラマスを釣ると心に決めて富山へ通い始めて間もない頃、地元の釣り人が「ヨシオが行ってダメならあ、だれが行っても釣れねっちゃ」と口々に語るのを聞いた。「ヤマモトヨシオ」とはそれほど凄いサクラマス釣師だった。

連日の敗北続きで疑心暗鬼に陥っていたとき、トニー翁が『それならあ、ヨシオに案内させようか』と手を差しのべてくれた。二つ返事。願ってもないチャンスだった。
早朝、まだ夜も明けやらぬ頃に起きだして表へ出ると、間もなくヤマモトヨシオは現れた。仕事の予定を丸一日潰して付きあうと言う。ありがたかった。

彼は私より4つ年下で独身だった。一切れの贅肉もない真っ黒な顔にギョロリとした鋭い目、シャープに尖った鷲鼻、鼻下に湛えた口髭。一度見たら忘れることのない顔立ち‥‥‥そう、サミーデイビスジュニアだった。

その日、彼はまったく竿を振ることはなかった。『そこにいるっちゃ』と川の一点を指さしたり、ルアーを通す角度が悪いと、もどかしそうに大きく手を動かして指示したりした。その動きは俊敏で野猿のようであった。
川ではほとんど言葉を交わさなかった。しかし意志はじゅうぶん通じた。神通川の上から下を走り回って一日が終わった。サクラマスは釣れなかった。

釣れなかったが、釣るための何かを会得したことは間違いなかった。それは自信と呼ぶにふさわしい何かだった。私の投げるルアーは、その後、確実にサクラマスに近づいていった。

富山の釣り情報の発信基地「トニー」へ行くと、いつもヤマモトヨシオの釣果話で持ち切りだった。昨日どこそこでヨシオが釣った。今朝もヨシオが仕事前に何匹掛けた‥‥‥。しかし私には已然として釣果がなかった。それは当然のことに思えた。十年早い‥‥‥と。

それから何年かして、ついに私の竿が曲がった。神通川ではなく、庄川でのことだったが。朗報を聞きつけてヤマモトヨシオが駆けつけてくれた。その夜、福光のたかとんで遅くまで祝杯をあげてくれた。嬉しかった。あの日のことは一生忘れない‥‥‥。

数年前、神通川のサクラマス釣りが、漁協の暴挙によって実質的に遊漁禁止となった。それは、神通のサクラマスに熱い思いを寄せていた多くの釣り人を失望させた。
以来、ヤマモトヨシオは幽霊になったと聞く。釣りに対する意欲が失せたと聞く。その後、何度か会って話をしたが、以前の元気はやはり消えていた。牙を抜かれた獅子。刀を奪われた武士も同然であった。当然といえば当然である。

昨日、ヤマモトヨシオの訃報が届いた。また愛すべき友人が私より先に川を渡る。悲しい。

神通を捨て、海に大物を求めた頃の義雄

2000.9.9 Ikasas


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