Angling Net / My Humble Opinion

加西の野池を考える



加西市の野池に漁業権が設定された
新聞で読んだ人も多いと思う
私は二十年前から加西でバスを釣ってきた
いわば生き字引みたいなバサーだが
今度ばかりは良民の味方である
つまり農家の味方だ

バスブームに乗ってやってきた
にわかバス釣り師たちは
釣り方は熱心に研究するが
良識を学んでこなかった

畑や田圃の畔を潰す
池の周囲にゴミを捨てる
池の中に煙草の吸殻を投げ捨てる
釣り糸の屑を捨てて耕耘機に絡ませる
農道に不法駐車し農作業車の運行を妨げる
池の周囲を踏み荒らし土手を崩す
早朝から夕暮れまで蛮声と嬌声をあげて騒ぎ立てる

と、ここまできたら
どこでもお決まりの札が立つ

「釣り禁止」

立て札には良民の怒りが見え隠れする
しかし良民はそれ以上の攻勢には出ない
それが彼らの昔からの良心だ

しかし
それをよいことにバサーの悪行は続く
事もあろうか池の水を抜いた
信じられないことだが
釣りやすくするためだと言う
ここに至っては良民も堪忍袋の尾が切れた
さもあらん
水は良民の命である
稲や野菜を育む命の水だ
それを抜かれてしまったのだから
アタマにこない方がどうかしている

良民は県に池の漁業権を申請した
表向きの理由は養魚だが
真意はバサーと池を隔絶するためだ
それでもなお
加西に通うバサーは後を絶たないときく
自分で自分のクビを絞めていることに気付かずに
加西に通うバサーは後を絶たないときく
人間の心を持たずして
魚釣りの愉しさなどわかるものか
‥‥‥と、私は言いたい



二十年前
加西で釣りをしていると
農作業の手をとめて
語りかけてくれた
良民のあの笑顔はもうない

庭先に招き入れて
汚れた手足を洗わせてくれた
良民のあの優しさはもうない

あの草いきれでむせかえる夏の日の
バスと戯れた興奮や衝撃や感動も
遠い昔の思い出の中に閉じこめざるを得ない

極めて残念である


13 Oct. 1998 ....... Ikasas Ikuy


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