Angling Net / My Humble Opinion

まず釣り人を釣ること


自分の好きな釣り
それだけをやっていたい気もする
しかし
興味のない釣りや
すでに興味を失いつつある釣りもしている
いわゆるお付き合い的な釣りも多い
これはまるで接待ゴルフではないかと
思うような釣りもあるにはある
もしも
それらをすべて止めてしまって
自分の好きな釣りだけをやっていたら
今みたいに
たくさんの釣り仲間ができただろうか
まずそれはあり得ない
多くの友人と疎遠になっていたに違いない

たとえばジギングは好きではない
船頭の見立てたポイントを
船頭の合図で一斉に釣る
船頭が「あげて」と言えば
釣りを中断して巻き上げなければならない
まるで船頭自身が釣人で
客である釣人は船頭の手足の一部だ
単なる「竿」や「リール」や「糸」にすぎない
釣れたら船頭の「ウデ」で
釣れなかったら船頭のせいである
どうにも納得がいかない
おまけに毎回ひどい船酔いに悩む
私はこんな釣りはほんとうはしたくない
しかし
誘われると何回かに一回は出かける
年に二、三回は出かけて辛い思いをして帰ってくる
それなのに
そんな釣りをずーっと続けている
でも
そしてそれはそれでけっこう楽しい
なんでだろう?
「明日は気圧配置が安定して波がないよ」
とか
「ここの船頭は釣人の言う通り操船してくれるよ」
などと
なんとか私を誘いだそうとする友人たちを
邪険にすることはできないではないか

それから
釣り大会は好きではない
賞品を並べて釣りのウデを競い合うのはきらいだ
釣りは元来「人と魚」が対峙するゲームであるはずだ
決して「人と人」が闘う遊びではない
それなのに
「大会をやるよ」と誘われると
のこのこと出かけていって参加している
そればかりか
釣り大会の主催者になったりもしている
でも
そしてそれはそれでけっこう楽しい
なんでだろう?

自分でも良く分からないが
そういう釣りも含めて
自分の釣りのカタチになってしまっているのではないか‥‥‥と思う
そしてそれが楽しいと思えるうちは
やめてしまうこともないのではないかと思う
「好きではない」が「楽しい」という
まるで矛盾したようなことが
世の中に存在することを知った今日此頃である



5 Mar. 2003 ....... Ikasas Ikuy


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